1: ウォッチャー 2018/03/07(水) 22:48:01.93 ID:97QXIGnO0 BE:261465668-2BP(1000)
中学2年生の時にコーヒーの焙煎を始め、卒業後は高校に進むことなく、群馬県桐生市の自宅に焙煎所を兼ねたお店をオープン。
持ち前の鋭い嗅覚と味覚をいかして焙煎されたコーヒーは地元で評判を呼び、
ネットの記事がきっかけで市外からのお客さんが訪れるようになった。
1週間ぶんの豆を1日で売りきるという大盛況ぶり。
焙煎への熱意と独学で身に付けた技術は、あの伝説の大坊珈琲店の大坊勝次氏も一目を置いているという。
15歳という若さで焙煎士になった岩野さんはどんな少年なんだろう?
「焙煎は9時くらいから始めて。終わるのが夜の8時くらいですね。
お昼ご飯はちょっとした合間で食べるので、落ち着いて休むことはありません。」
同じ焙煎士の方から「そんなに気が持たない、味が落ちちゃうよ」って言われるんですけど、そんなこともないんですよ。
楽しい仕事なのでずっとやっていられます。肉体的にもきつくないですよ。
やればやるほど新しい発見があるので本当に面白いんです。」
焙煎するコーヒー豆の量は1カ月で400kg。決まった休日はない。
「毎月テーマを変えて味付けをしているんですけれど、焙煎してばかりだとテーマが思いつかなくなるので、
美術館に行ったり陶芸家の展示を見に行ったりします。行きたいところがあればふらりと行ったり。
そういう日が月に2、3日あります。」
焙煎のアイデアはコーヒー以外からインスピレーションを受けたり思いついたりするという岩野さん。
休みの日も生活の中心にコーヒーがある。
「焙煎自体が好きなことから始まっているので、焙煎をやっているのが一番楽しいんですよね。」
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/hiro-watanabe/18-00018
持ち前の鋭い嗅覚と味覚をいかして焙煎されたコーヒーは地元で評判を呼び、
ネットの記事がきっかけで市外からのお客さんが訪れるようになった。
1週間ぶんの豆を1日で売りきるという大盛況ぶり。
焙煎への熱意と独学で身に付けた技術は、あの伝説の大坊珈琲店の大坊勝次氏も一目を置いているという。
15歳という若さで焙煎士になった岩野さんはどんな少年なんだろう?
「焙煎は9時くらいから始めて。終わるのが夜の8時くらいですね。
お昼ご飯はちょっとした合間で食べるので、落ち着いて休むことはありません。」
同じ焙煎士の方から「そんなに気が持たない、味が落ちちゃうよ」って言われるんですけど、そんなこともないんですよ。
楽しい仕事なのでずっとやっていられます。肉体的にもきつくないですよ。
やればやるほど新しい発見があるので本当に面白いんです。」
焙煎するコーヒー豆の量は1カ月で400kg。決まった休日はない。
「毎月テーマを変えて味付けをしているんですけれど、焙煎してばかりだとテーマが思いつかなくなるので、
美術館に行ったり陶芸家の展示を見に行ったりします。行きたいところがあればふらりと行ったり。
そういう日が月に2、3日あります。」
焙煎のアイデアはコーヒー以外からインスピレーションを受けたり思いついたりするという岩野さん。
休みの日も生活の中心にコーヒーがある。
「焙煎自体が好きなことから始まっているので、焙煎をやっているのが一番楽しいんですよね。」
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/hiro-watanabe/18-00018
2: ウォッチャー 2018/03/07(水) 22:48:17.38 ID:97QXIGnO0
学校に行けない。居場所を探す毎日
岩野さんの幼かった頃のエピソードと若くして焙煎士になったことからは、
天賦の才を持ったコーヒー少年がなるべくして焙煎士になった、というイメージが頭に浮かぶ。
でも、話はそうスムーズじゃない。中学生の時に試練がやってきた。
学校に行けなくなったのだ。
原因は岩野さんの障がいにある。
アスペルガー症候群だ。
小学生の時には「ちょっと変わった男の子」くらいで認められたのが、中学生ともなるとそうはいかない。
頑張ってもまわりの子達と同じようにできないことが目立つようになった。
「宿題とか板書ができないんですよ。僕は本を読むのは好きだし文字も書けるんですけれど、いろいろ試したけどできない。
できるはずなのにできないっていう感じが苦しかった。「なんでなんだ?」って。」
中学2年に進級した頃、学校に行くのをやめた。
「みんなが普通にできることができないことに、最初は納得いかない感じがありました。
でも、やってみても両親に手助けしてもらってもできない。それなら別の何かを見つけた方が早いんじゃないか、
って納得がいくようになって、「自分にできることは何だ?」って探し始めたのがその頃だったと思います。
それで、学校に行かなくなったらなったでやることがなくなった。
両親は仕事をして兄弟は学校に行って、僕1人だけ何もすることがない。自分を見失ったというか存在意義がなくなっちゃった。」
そこから岩野さんの模索が始まる。
家事から始めて、叔父さんの家業の土木作業や、両親の仕事の手伝い等々。
「自分にできること」を探すなかで、自分の味を作れるスパイスカレー作りにハマり、隠し味としてのコーヒーに改めて出合う。
その縁から知人に手動式の焙煎機をもらい、コーヒーの焙煎を始めた。
中学2年生の夏のことだ。
岩野さんの幼かった頃のエピソードと若くして焙煎士になったことからは、
天賦の才を持ったコーヒー少年がなるべくして焙煎士になった、というイメージが頭に浮かぶ。
でも、話はそうスムーズじゃない。中学生の時に試練がやってきた。
学校に行けなくなったのだ。
原因は岩野さんの障がいにある。
アスペルガー症候群だ。
小学生の時には「ちょっと変わった男の子」くらいで認められたのが、中学生ともなるとそうはいかない。
頑張ってもまわりの子達と同じようにできないことが目立つようになった。
「宿題とか板書ができないんですよ。僕は本を読むのは好きだし文字も書けるんですけれど、いろいろ試したけどできない。
できるはずなのにできないっていう感じが苦しかった。「なんでなんだ?」って。」
中学2年に進級した頃、学校に行くのをやめた。
「みんなが普通にできることができないことに、最初は納得いかない感じがありました。
でも、やってみても両親に手助けしてもらってもできない。それなら別の何かを見つけた方が早いんじゃないか、
って納得がいくようになって、「自分にできることは何だ?」って探し始めたのがその頃だったと思います。
それで、学校に行かなくなったらなったでやることがなくなった。
両親は仕事をして兄弟は学校に行って、僕1人だけ何もすることがない。自分を見失ったというか存在意義がなくなっちゃった。」
そこから岩野さんの模索が始まる。
家事から始めて、叔父さんの家業の土木作業や、両親の仕事の手伝い等々。
「自分にできること」を探すなかで、自分の味を作れるスパイスカレー作りにハマり、隠し味としてのコーヒーに改めて出合う。
その縁から知人に手動式の焙煎機をもらい、コーヒーの焙煎を始めた。
中学2年生の夏のことだ。
【アスペを発症しつつ高校へ進学しなかったコーヒーの天才、毎日11時間焙煎機の前に立つ】の続きを読む